Mie, Iga — Shimanohara
与右衛門坂の麓で
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三重県伊賀市島ヶ原。
ここに、与右衛門坂という古い峠道が残っている。
そう歌われたほどの難所だった。
昔の旅人は、ここを越えなければ先へ進めなかった。
坂を越えるとは、昔も今も、容易ではない。
この地には、「伊賀越え」という言葉が残っている。
本能寺の変の直後。堺にいた徳川家康が、明智の追手を逃れ、
命がけで伊賀の山々を越えて三河へ帰った——
後にそう語り継がれた逃避行のことだ。
天下人となる前の家康が、
ただ生き延びるために、越えるしかない道の前にいた。
どの道を、どの坂を越えたのか。
それは今も、諸説あって定かではない。
確かなのは、彼が坂の前に立っていた、ということだけ。
私たちもまた、坂の前にいる。
AGIは私たちの仕事を変えるだろう。
しかし本当に変わるのは仕事ではない。
私たちが自分自身を
どう定義するか、だ。
私は何者なのか。
何のために働くのか。
何を次世代へ残すのか。
1582年から四四四年後の2026年。
家康が生き延びるために越えた土地で、
私たちは生き直すための越境を始めている。
世界中の人々が今、それぞれの坂の前に立っている。
ホテルではない。
観光施設でもない。
成功者のための場所でもない。
ここで行うことは、すべて願いを伴う儀式だ。
問いを携えて来る人のための場所。
答えではなく、炎を見つめる夜。静かに眠る。そして翌朝、自分自身の与右衛門坂へ向かう。
豊穣を約束はできない。うまくいくとは限らない畑に、それでも種を蒔く。その営みに、あなたも触れに来てほしい。
蚕は一度こもり、姿を変えて糸になる。人もまた、越える前に、ひと晩こもる。
一服の所作の中に、問いがある。効率と真逆の時間を、身体で知る。
ここには、ゆっくりとした時間が流れている。
何百年も、人が歩いてきた道とともに。
何かを見るのではなく、
何かを思い出す。
知識は溢れ、効率は極限まで高まる。
だからこそ私たちは再び、土地へ戻る。
身体へ戻る。歴史へ戻る。共同体へ戻る。
AGIの時代に、IGAで立ち止まる。
この偶然を、私たちは大切にしたいと思う。
私が育った浦安と船橋には、それぞれ古い社がある。
浦安最古の豊受神社は、衣食住を司る豊受の神を。
船橋の大神宮は、天照の神を祀る。
我が家の紋は、右三つ巴。
その同じ紋が、浦安にも、船橋にも、そして伊勢にもあった。
紋を辿るうちに、私は伊勢へ——
天照と豊受が対で鎮まる地へ、たどり着いた。
家康が生き延びるために越えた伊賀へ。
私は、紋に導かれ、生き直すために。
都市を離れ、島ヶ原の古民家に移り住んだ。
なぜここに来たのか。長く、うまく言えずにいた。
いまは分かる。ここが、その答えだった。
食。
自然農で、五穀を蒔く。
米や野菜は、この土地の作り手に委ねる。
私は粟、黍、稗、豆を育ててみる。
町ぜんぶで、五穀が揃えばいい。
衣。
桑を植え、蚕を飼う。
土地の糸から組まれる伊賀の紐を、一本だけでも試みたい。
住。
百年を超えた古民家で、火を絶やさず暮らす。
茶。
習いながら、点てる。完成を待たず、問いのまま迎える。
梁だけに価値があるわけではない。
後から足された部屋にも、コンクリートの壁にも、
その時代の暮らしが生き延びようとした痕跡がある。
危ないものは直す。
家が呼吸できないものは軽くする。
けれど、ただ美しくないからという理由では壊さない。
生き延びてきた家を、
生き直すための家へ変えていく。
けれど、空っぽの家ではない。
2026年6月、私たち家族はここで暮らし始めた。
古民家の改修を続けながら、越境の里を育てている。
問いを持つ人が来られる日まで。
関心が集まるたびに、
畑が始まり、家に風が通り、
母屋が整い、離れがひらいていく。
時を超えた問いと向き合うワークショップ。
民泊でも、観光でもない。
火、土、茶、糸、坂、そしてこの家に積もった時間を通して、
自分自身の越境前夜に立ち止まる。
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